溶接と歩み続けて100周年

鉄をつなぎ、人をつなぎ、
未来をつなぐ。

マツモト産業は2019年4月をもちまして、
創業100周年を迎えます。
これからも、みなさまの暮らしをつなぎ続けます。

メッセージ

MESSAGE

創立100周年のご挨拶

代表取締役会長兼社長𠮷田 充孝

 1919年(大正8年)4月、松本ハルが大阪市港区で鉄店を営むようになったのが当社の創業であり、その後は歴代社長たちが社訓の「誠実・努力・明朗」を旗印に、卓越した経営センスと時代に応じた経営戦略、先輩・現役社員らの弛まぬ努力により、当社は一世紀の歴史を刻むことができました。
 そして何よりも、ユーザー様、販売店様、仕入先メーカー様をはじめとする多くの関係各位のご支援、ご協力を賜りましたことで、現在のマツモト産業グループへと成長させていただきました。衷心より感謝申し上げます。
 現在のマツモト産業グループは、皆様方と長い歳月をかけて育んできた「信頼と絆」という大きな幹により支えられ昇華したものです。100年企業となった私たちはこの先も、未来永劫、この精神を引き継いでいく所存です。

100年の歩み

HISTORY

マツモト産業の100年史

第一章 1919年~「創生期」

激動の時代の中、立ち上げた鉄ビジネスの萌芽。
松本 ハルの鉄店創業から始まったマツモト産業史

1919

創業者・松本 ハルの現存する唯一の写真。
女手一つで、住宅街の一角から、今日の
マツモト産業の前身となる礎を築いた。

1922

松本 ハルの起業以前から、大阪で
溶接材料の販売を行っていた。
当時の溶接事業の需要拡大を見越して、
松本 ハルとの共同経営に乗り出す。

森商店 外観(1922年頃)
松本 ハルが森 松千代との共同経営を
始めた際、屋号を「森商店」とした。

1948

1932年の森 松千代死去に伴い、母・松本 ハルを
支えるべく社長に就任。
第二次世界大戦の混乱を乗り切り、屋号を変更し、
法人化を実現。
「松本酸素工業株式会社」として業績を伸ばした。

当時の「会社案内」(1948年)

1961

1961年発足した「松本酸素工業㈱鉄工部」にて
製造された当時のターニングロール。

1962

1962年(昭和37年)松本 文子が代表取締役に就任

1960年代発行の業界年鑑等に掲載された当社広告。
ガス・溶材・機械・鉄工という言葉が強調されている。

1968

社員一人ひとりが「誠実・努力・明朗」の姿勢を貫くことを、
「社訓」として提示。
創業50周年(1968年)を節目に、常日頃の心構えを明確にした。

1968年に大阪市浪速区桜川に7階建の
新本社ビルが完成。
松本酸素工業の文字が大きく掲げら
れている。

ジャパンウェルディングショー出展

第二章 1969年~「変革期」

"溶接専門商社"への図る、
図子正章社長のエネルギッシュな改革戦略

1969

1969年松本 文子が取締役会長に、
図子 正章が代表取締役社長に就任
マツモト産業株式会社に社名変更

図子 正章

マツモト産業本社ビル
社名変更に伴い新たにマツモト産業の
文字が取り付けられた。

社名変更とともに制作された会社概況

1969年㈱松本機械製作所が
マツモト機械㈱に社名変更、
本社工場を八尾市へ移転

社名変更に伴い、会社のロゴマークも
現在のロゴマークへと変更された。

社名変更に伴い、企業理念をメッセージ化した
3文字のアルファベットを強調する「MAC」マークが誕生した。

1976

トーヨー(株)工場竣工

1979

当社の創業60周年を記念して、大々的に
組まれた特集記事。
何ページにもわたりマツモト産業と
マツモトグループについて、 これまでの
成長の軌跡が紹介された。
(「溶接ニュース」1979年掲載)

第三章 1980年~「確立期」

浸透した図子イズムを継承し、躍進。
業界にマツモト流が浸透

1980

1980年(昭和55年)松本 常典が
代表取締役社長に就任。

社長就任1年目の松本を紹介。
図子イズムを引き継ぎながら、
「全社員が経営者になろう」という
経営政策を表明していた。
(溶接ニュース)

1980年( 昭和55年)3月期での売上高
200億円超えを 大々的に報じる紙面。
グループ会社の好調も伝えている。
(溶接ニュース)

1980年( 昭和55年)7月に開催される
「名古屋ウェルディングフェスティバル」の
展望記事。
(溶接ニュース)

1981

1981年( 昭和56年)4月開催の
「大阪ウェルディングフェスティバル」
展望記事。
(溶接ニュース)

名古屋に次いで開催された
「大阪ウェルディングフェスティバル」で
挨拶を行う、松本 常典社長。

1982

1982年( 昭和57年)、2年連続で開催された
「大阪ウェルディングフェスティバル」は
大幅に規模を拡大。
福を呼ぶ戎さんをメインビジュアルに、
ポスターやパンフレットで大々にPR。
大会専用のロゴマークも作成した。

「名古屋ウェルディングフェスティバル」も
2年連続で開催。

第四章 1983年~「躍進期」

新体制で、過去最高の売上高・新記録を達成。
着実路線でV字回復を目指す

1983

1983年(昭和58年)飯野 順三が
代表取締役社長に就任

東京での「ウェルディングフェスティバル」
初開催の成功を伝える紙面。当社の知名度も
次第に全国区となっていった。

レーザーや産業用ロボットの実用化をテーマに
開催した「東京ウェルディングフェスティバル」。
七福神をビジュアルに、関東でも大規模展示即売会を
仕掛けていった。

第五章 1995年~「グローバル期」

営業力、社員の「質」をさらに高める。
世界を視野に入れつつ、地域密着営業強化の時代へ

1995

1995年(平成 7年)飯野 順三が代表取締役会長に、
杉本 雅信が代表取締役社長に就任。
社長就任時に業界紙から受けたインタビュー記事

1998

「MAC ウェルディングフェスタ」は
株式会社ダイヘンの協力で敷地内のグラウンドを借り、
1989年から2年連続で行われ、マツモト機械もメーカー
として出展した。

2000

「大阪ウェルディングフェスタ2000」の成功を報じる業界紙。

2003

2003年開催「大阪ウェルディングフェスタ」の様子。

2004

2004年開催「名古屋ウェルディングフェスタ」の様子。

第六章 2005年~「拡充期」

日本一のメカトロ商社を目指して―――
レーザ機器を主軸に市場開拓、物流改革へ

2005

2005年(平成17年)杉本 雅信が代表取締役会長に、
伊佐 勝博が代表取締役社長に就任

2006

24年ぶりに東京で開催した
「MAC ウェルディングフェアin 東京」

2008

「大阪ウェルディングフェスタ2008」の
開会式で挨拶を行う伊佐社長。

2009

2009年開催「大阪ウェルディングフェスタ」の様子

「マツモト産業 創業90周年」を大特集する業界紙の紙面。

第七章 2010年~「発展期」

相互援助と協力の企業精神が、国内外で浸透。
MAC会再編成と海外拠点の拡充で、次代に挑戦

2010

2010年4月当時専務だった𠮷田 充孝が
代表取締役社長に就任。

2011

2011年に中国・広州市に設立した
「广州松本技商貿易有限公司」があるビルの外観。

広州市での展示販売会の様子。
MAC のロゴが中国でも認知されてきた。

2012

2012年マツモト機械は中国・佛山市に
現地法人「佛山松元机械有限公司」を設立した。

2012年にメキシコ・ケレタロ州に設立された
「MATSUMOTOTECNICA DE MEICO S.A. DE C.V.」

2015

2015年に本社ビルを大阪市西区に移転。
関西圏の一部営業所も集約し、本社機能を強化した。